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2008/02/18

時間が無い無(以下略)

イロイロいろいろ色々書いておこうと書いていたら、この記事を書く時間が無くなった(別に必ず20時とこだわっているワケじゃないんだけどね)りして右往左往。どうしようかな~、と思いつつとりあえず音楽を聴こうと、チェリスカのキミイロをずっとリピート。極端な話、Cherish!!ではもうコレとあと2曲(チェリズム!!のsnow magicとJOY♥JOY♥JOY)しか聞いてなかったりする。やあ、やっぱり良いッスよコレは。イントロアウトロで流れるギターリフも、BメロサビでなるSサックスも、インストのTサックスも、歌詞も。なにより大声で歌うとすごい気持ち良い。

…と、書きやすいモノを、ナニも考えずに、だだだっと書いてしまうと発想が限定され、萎縮し、その後が続かず、頭を抱え、苦悩し、思索し、お風呂に入り、歯を磨き、布団に入り、お休みなさい。頭の中に発想のカケラでも見つけてから書かないと、原稿用紙1枚分も書けないな。ああ、作文のお勉強をしっかりやっておけば良かった。と後悔したところで、今さらジロー。と、なんの生産性もない日記でこんなに頭悩ませる必要もないとも思う。日記書きのスキルが上がってもなんにも嬉しくない(笑い) しかし、こう言うのが苦手な人が多いのは、やっぱり小学生なんかの頃に、事あるゴトに嫌々書かされる感想文や作文、夏休みの宿題に出てくる日記のせいなのだろう。詩や文学もそう。面白い!と心の底から思って読んでいる小学生を見たことがない(広い地球のどこかにいるかもしれないが) いずれ、成長し、人が分かり、書いていない行間が読めるようになる、その時初めて自分から本を手にし読める人間は幸せだ。しかしそうではなかった人間は、その手の本を面白く読める頃には詩や文学を難しい面倒臭いと言う印象しか持っていない人格が形成され、スタート位置よりマイナスにいる自分に気が付いた時には手遅れになっているような気がしてならない。なんてどうでもいいコトを書いて、とりあえず埋めるコトが出来るので、詩や文学、夏休みの日記も捨てたモノじゃない気がしてきた。とか(笑い)





なんてどうでもいいコトを書いてたら、ヤッター(中略)ヒーライター、見忘れたぁぁああああ!!!1

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